わたしたちは毀損されながら - そして今の10代は何を思うか(というただの想像)
残念ながらこちらのカトルドさんの話ではなく、本家さんの方のお話です。
72時間テレビでのパロディのほう見てる間に本家さんのほうが来日され、パロディのヒドさを軽々と飛び超えたバッドガイぶりを見せつけてくれたようです。
あ、鯉のエサの件がフェイクだったことは知ってますよ念のため。
俺の兵器買うよな?な!?
共同会見中に堂々と兵器のセールストーク、「Youらは2番な。Weが1番」という、きょうびジャイアンも言わなそうなメッセージ。天皇との謁見に際しジャケットの前ボタン開けっぱなしで握手を求めてしまう儀礼を失した態度などなど、そのほかにも多々(ちなみに安部首相もメラニア夫人をイヴァンカ夫人と呼び間違えるなどして余裕の応戦を見せた模様)。
しかしそれにつけても、ここまで同盟国のトップにストレートにマウントを取られて、それでもハイハイニコニコと従者のようについて回る態度とはどうしたものなのでしょう。
さすがにこれはネトウヨさんもそれなりに不満だろうと思ってのぞいてみたら、
「厚い信頼関係!頼もしい!」
「兵器買いましょう!なんなら核兵器も!」「この調子で北を滅ぼしましょう!」
みたいな感じで、むしろ好調でした。
例の自称宮家の末裔、竹田恒泰とかもまんまそんな感じです。武器買えるのが嬉しくて大はしゃぎ。絶好調だね。
そんな昨今、巷の若者は自民支持が多いと言われています。まあ自民時代しか知らなくて、いまだに野党は(まとめサイトとミヤネ屋では)どーしょもない悪役とされていて、安倍自民時代で前よりはマシになってると(まとめサイトとミヤネ屋では)言われてるし…と来ると、そんな感じなのもわからなくはない。
でも、この露骨なDoggy Style外交はどう見えるんだろう?と素直に気になる。
シンプルに、「うちの首相……ダッサ😭」てならないのかな。それとも、すでに「ゴマすってプライド捨てても実を取るのが大人」みたいな価値観が心の底から染みついているのだろうか。
実際、一部ではトランプ氏の以下のような発言を
「大成功!まるでBLのような安倍さんのラブラブ外交手腕!」
みたいな評価が飛び交っています。
うんまあfriendshipとか書いてあるけどさ。。そのほかも読もうぜ、て思うんだけど。
そんな中にあって、いまの10代、それも選挙権のある18歳ぐらいの人々は安倍首相率いる自民党支持がメジャーだと聞きます。そこには一体どんなメンタリティが働いているんだろう。もうティーンエイジャーの気持ちを代弁できるとは逆立ちしても言えない年齢になったからこそ、そんなことをふと考えてしまう。
「今の10代」と呼ばれる人が生きてきた日々を。
彼らが生まれたのは1999年。
バブル崩壊の余波。しだいに暗くなっていった世紀末の時代。
2001年にはNY同時多発テロ。
その後のイラク戦争。世相に光はなかなか見えない。景気の悪化。
旧民主党が政権を取っていた2011年の震災時には12歳。きっと親世代から民主党議員の悪評をたくさん聴いたことでしょう(俺だってその頃は菅さんや枝野さんのことを悪く言ってたよ、たしか)。
ネットに触れるようになるのもこの頃だろうか。そしてまさにその時期から自称保守の人々のネットでのデマゴーグ作戦が水面下で盛り上がりを見せた時期。ニコ動全盛期でもある。ボカロとヘイトの時代。
2012年暮れ、第二次安倍政権発足。
翌年以降、「アベノミクスによって景気は上向いた」といたるところで喧伝される。親御さんの勤め先の株価も持ち直したかもしれない。
2014年、秘密保護法施行。15歳の彼らは受験でそれどころじゃない。
2015年、ISILによる日本人人質殺害。
その時彼らは多感な思春期、16歳。
きっと例の胸糞の悪いISILによる動画を、YouTubeやらニコ動やらで探して、友達同士で見せ合ったりしたことでしょう。その時クラスの中はどんな雰囲気だったろうか。最近話題になった自毛申告書みたいな校則は彼らの学校にもあっただろうか。そうした理不尽を「やりすごす」彼らの目には、後藤さんや湯川さんの姿はどんなふうに見えたでしょう。
そして2017年、いま。
冒頭にあげたようなトランプ大統領のデイリー狼藉っぷりは様々に報じられていますが、いまやNHKすら「鉄板焼きを召し上がりました!」などの報道に終始する始末。狼藉動画が彼らの元まで届いているかはなんとも言えない。進学して親元を離れ、情報源がスマホだけだとしたら、そんな動画でギガ減らしたくないよな。
となれば、巡回してるまとめサイトをまず見て漠然とした印象を掴んで、よっぽど気になれば詳細を探す、とかそんな感じかもしれない(いや、そうしているのは果たして若者だけと言えるだろうか)。安倍さんがバンカーで転がったのはネタになりやすいから知ってるかもしれないね。あの間抜けな映像は親しみやすさの一部として受け取やれるだろうか。どうだろう。
圧倒的強者に阿る生き方。
そうすることが「大人になること」と評価される、そんな風潮。
政党の支持不支持は、もちろん個人の自由です。今知らなくても、知らないことは後で学んだまた考えればいい。
しかし、「あれが大人のあるべき姿」と無意識に前提化してしまうヤングが増えないことを願います。君はもっと誇りを持ち、自分という個人を大切にして生きていい。本来、他者との信頼関係というものはそうした足場からしか生まれないはずなのだけど、どうにもこの国には「阿るか」「蔑むか」この二択でものを考える人が多いような気がする。
人が人を対等な他者として見ることは難しい、というあるある
振り返れば自分にも、「阿るか」「蔑むか」でしか他者と付き合えなかった頃がありました。それこそ10代の、まだ何もわかっていなかったころ。その時なぜそうしかできなかったのか今ならわかります。あの時の自分は、自分になにも自信が持てなかった。みんなが自分よりマトモに見えたし、そうでないやつはそんな自分よりも下の、取るに足らないやつだと思っていた。恥ずかしい話。
いまはなんだか、世の中全体がそうした「自己評価の低さ」を内面化したまま大きくなってしまっているように思えます。国のトップの生き様がまさにそれを体現してしまっている。そしてそれを、みんながこぞって「大人になるって、そういうことだ」と自分に言い聞かせているような。
違うよ、大人になるってことは。
friendshipも信頼も、そういうことじゃない。
「じゃーさ、大人になることは金になるの?」そんな声が聞こえる気がする。
そーだなあ、ならないかもなあ。でも。
この「でも」の先に続く言葉を、何よりも強く響く言葉を、私はずっと獲得したいと思っている。本当の意味で「大人になること」を、世界全体が放棄し嘲笑うような、そんな時代ではあるけれど。