その場所の居心地

備忘録と考えたこと

【演劇】柳生企画『ひたむきな星屑』

風景の見える演劇

 

「演劇には風景がない」

そう思っていた時期が私にもありました。

 

無隣館2期卒、現青年団演出部の柳生二千翔による作・演出の本作。批評家の佐々木敦氏が三鷹に作ったSCOOLというスペースで観劇しました。

 

scool.jp

 

冒頭に書いた通り、本作は「風景の見える演劇」でした。

 

かつて私が学生だった頃、「物語のあるものを作りたい」と思い立ち、自分がぼんやりと進もうとしている道の向こうに「演劇か映画(映像)か」という分かれ道がありました。結果として私は、映画ではないものの映像の世界に進んだわけですが、その時演劇を選ばなかった理由としていたのは「風景を使ってものを語ることができないから」というものでした。

 

映像には「風景カット」というものがあり、ただヒット作としてだけではなく映像芸術としても評価され続ける名作映画の中には、それぞれに非常に印象的な「風景カット」が存在します。かつて(今もかもしれませんが)、街に立っていても、その風景のある瞬間を目にしてあれこれと想像を巡らせることの多かった自分は、風景そのものを使って物語の一部とするような何かが作りたかったのだと思います。

 

しかし実際のところ、演劇にも「風景」はある。

それに気づいたのは、その後に多くの観劇体験を経てからのことです。

 

ある種の優れた演劇は、観る側の脳内に、時には現実よりも鮮明な風景を呼び起こすことがあります。それは目で見る風景ではなく、脳の中に閃光のように焼き付けられる、架空の、しかしどこか記憶の一部だったかのような風景です。

 

「ひたむきな星屑」は、高速道路が通ったことで様変わりを遂げたある地方都市を舞台に、しがらみを抱えつつそこに帰ってきた女と、不安と孤独を抱えつつそこを出て行くことになる女、という二人が、今その街の基幹産業となった「高速道路沿いの大規模サービスエリア」という場所のアルバイト店員としてひと時を過ごし、すれ違う物語です。

 

左右に店舗の並ぶ一般道ではなく、高速道路沿いの街を舞台にした物語を「ロードサイドもの」と言ってしまっていいかはわかりませんが、本作には確かにロードサイドものと呼びたくなるような風合いに満ちていました。孤独、諦め、わずかな焦燥、男と女、夜のコンクリートを冷たく照らすライト。それらは極めて現代的(モダン)な問題提起で、演出のトーンも合間ってどこか'80~'90年代的な退廃のニュアンスも感じさせます。

 

SCOOLの空間には、天井部分に赤いイルミネーションライトが設置されていました。その赤い小さなランプたちの明滅が示すものは、夜の星空などではなくサービスエリアの店頭から見える渋滞のブレーキランプであることが終盤で暗示されます。綺麗ではあるかもしれないが、どこか息の苦しくなるような圧迫感のある赤い光。そして蛍光灯の白、誘導灯の赤と青。そこに重なる車の轟音。時に雨音。舞台上で実際に垂らされわずかに聞こえる水滴の音。

 

優れた演劇は、そうした空間美術、俳優の所作、音、など様々なパーツを駆使して、一度因数分解された「風景」を観客の脳内で視覚的に再構成してくれます。その再構成の際に必要となるコードが「戯曲」であり、戯曲の中の「言葉」なのかもしれません。

 

リアリティのある会話と各キャラクターの独白を無理なく行き来する本作の戯曲のリズムは、序盤こそ若干集中力を要求されたものの、中盤以降では無理なく意識下にその旋律を滑り込んできてくれました。時に天井に瞬く「ブレーキランプの星空」を見上げながら、私の中には冷たく孤独なロードサイドの景色が刷り込まれていきます。

 

脳内に組み上がった架空の景色は、現実よりも情報の濃淡が不均一なために、受け取ったその瞬間から儚く移ろうものとして脳裏に残り、目の前の現実としてよりもむしろ遠い記憶の中の体験に近い手触りを持ってその場を漂い続けます。優れた芸術に共通する要素を機能面から語るとすれば、人間の意識に裏口から直接接触するような、そうした影響の残し方がそれに当たるのかもしれません。

 

ロードサイド・夜・アスファルト・赤いライト。

そして断片的に脳内に浮かび上がる記憶のような「風景」。

それらはどこか、日本ではない、どこか他の国の風景のようでもありました。

 

その閉塞感は、最後静かで冷ややかな手触りのある「解放」に向かいます。

「雪の積もった日、閉鎖された高速道路を歩いて街を出ていく」というシークエンス。

現実と非現実の狭間のようなその情景は、実際に雪道を歩くときの身体の熱の記憶と合間って、ただ冷ややかな退廃を示しただけでは終われない'10年代の物語として終焉を迎えます。

 

抑制され、かつ雄弁な、そして間違いなく「今の物語」だったと思います。

自分の住む街、住む時間をこんな風に振り返ったらどんな風に見えるだろうかと、本作の余韻を楽しみながらしばし空想に耽っていたいと思います。

 

 

(物語の内容とは全く違うけど、心に映った風景はこんな感じで。)

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