その場所の居心地

備忘録と考えたこと

「典型的で凡庸な不幸」を生きるということ

ポストバブル時代によく語られていた「高度経済成長で人間は何かを失っていないか」的な問いや学歴主義批判。ドラマや何かでは、「エリートだけど不幸」という人物像が頻繁に、否定的に描かれていた。あまりにも繰り返し語られるので、そんなベタな人物が本当に実在するのかとずっと不思議に思っていたものだ。

 

社会はずっとそうした人物に好奇の目を向けていたと思う。ドラマ「ずっとあなたが好きだった」の冬彦。東電OL殺害事件の被害者女性。それをベースにした桐野夏生の小説。他にも色々。

 

エリートの不幸、エリートの転落。エリートでない我々はそういう話が大好物だ。嫉妬の裏返しとしてだけでなく、そこには人を惹きつけるものがあるんだろう。人の根源を垣間見るような何かが。そう思っていた。

 

豊田真由子さんと私の関わり

 

このFacebookのノートに書かれた、とある女性と現在国会議員となり最近問題を起こしたある人物とのバブル期の青春の回想録は、上記のような人間の謎だったはずの部分を、手品のタネを全てテーブルの上にばら撒くような調子で軽々と人目に晒してしまっている。

 

高圧的な父親、従属的な母、罵倒する兄、他人の評価の中でしか生きられない自分と、その結果として異性からの性的評価を強く求める傾向、など。語られる内容はある意味前述の作品や事件ルポよりもリアルだし、端的だ。

 

これを読んで深くため息をつきたくなるのは、そこで語られることが人間の深淵に触れる何かだからなのではない。むしろその浅薄さに圧倒される。全てがあまりにも「想像通りすぎる」。深い闇に見えたその物体は、触ってみたらただの古ぼけた風呂敷で、おそるおそる開いたところで大したものは入っていなかった。陽の光に晒されたそれらの謎は、ひとつひとつ本当に陳腐に見える。

 

学歴や成功と人の幸福に相関がないなんて当たり前のことを、一体我々は何度問いなおせばいいんだろう。上を目指したければ目指せばいい。そうしないのだって人の勝手だ。ただそれだけのこと。それをどうしても受け入れられない、受け入れては生きていけない魂が、まだこの国にはあちこちに大量に浮遊している。まるで墓場の人魂みたいに。

 

テンテンコ 「Good bye,Good girl 」(MV) - YouTube

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