その場所の居心地

備忘録と考えたこと

演劇の多義性とか、個人の一義性とかを巡って。

「デモ」についての演劇を上演したよ

↓こんな感じのやつ。先月です。

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今回は劇作家の綾門優季君(もはやマイメンと呼びたい気分の二十代半ばの青年akaもやしっ子。優れた作家です)が戯曲を書きおろすということで、その作品の演出を依頼されるという形で制作が開始しました。まだまだ演劇歴はペラペラに浅い僕にとって、自分で書く戯曲ではなく人の戯曲で演出のみ、というのは全くの初めて(演劇の世界ではめっちゃ当たり前のことな訳ですが)。そのこともあって制作はよちよち手探りで進んでいきました。

 

以下、その制作過程や上演に際して考えたこととか。 

 

たまたま「デモ」そのものへの経験知や現代政治史のあらましは僕の方が多めに把握していたので、戯曲の執筆期間も常に相談を受けつつ、二人三脚とまでは行かないまでも、お任せでポン!という感じではないやり方になりました。もちろん、結果書かれたものは間違いなく綾門印のものだったとし、僕がそこに寄与できた部分は基礎工事レベルまでだったと思います(そして演劇における演出家と劇作家の分業とはそうあるべきものだと今あらためて感じています)。

 

その制作過程の中で - これはやりながら気づいた部分だったわけですが - いくつかの「異和」のようなものを感じていました。はじめは「単に初めての共同作業だし俺が不慣れだからかな~」ぐらいに軽く捉えていたものだったのですが、結論から言えばそういうことではなかった。その「異和」は、この作品が「演劇」であり、しかもテーマが「デモ」である、ということに分かち難く深く結びついているものだったのです。

 

そもそもデモって

なんでしょうか。

辞書的な意味を引き合いに出して、その回答とすることはとても簡単です。

しかしその実、デモとは

 

「どの時期/ジャンルで行われたものを基準に語るか」

「それに参加したことがあるかないか」

「参加したことがあるとしても、どの時間に、どの場所に立っていたか」

「そもそもそのデモに至るまでの色々なコンテクストをどの程度知っていたか」

 

などによって全く別種の評価/感想を持ってしまうようなものであることは、これまであまり言及されてこなかったことのように思います。これは昨今のネット上に表明されているデモへの賛否それぞれの意見の、絶望的な折り合わなさにも通ずる話と言えるでしょう。

僕自身デモにはそれなりに何回か参加し、その「語りづらさ」についてある程度分かっていたつもりだったけど、それが僕の想像をも圧倒的に凌駕するほどの「大きさ」を持つものであることに気づけたのは、今回の共同作業の中で、劇作家という他者の目線を通してそのことをとらえ直せたからだったと思います。その意味でこの作業は僕にとって本当に有益だったし、「それができる演劇っていうフォーマットってマジすげえな」とあらためて感服した出来事でもありました。

 

ちょっと脱線しました。話を制作過程に戻します。

 

テーマはデモでも、一人芝居

「デモ」とは前述の通り、とても大きく無限に多義的な意味の総体のような事象です。私たちはその大きなテーマの中に、一つの演劇作品としての背骨を通すべく、物語の展開を推敲し、セリフの意味や響きを吟味し、それぞれの「音」としてのリズムを調整していきました(演劇の台本が戯”曲”と呼ばれるのはまさにそのためです。その点についての多くの知見は今回綾門君からもたらされました)。

 

戯曲がほぼ完成すると、続いて演出家(僕)がそこに「演出」を加えていきます。演劇における演出の要点とは、戯曲で書かれた内容を「身体を通して再構築する」ということです。この「身体」についての意識量の違いが、演劇と他の物語芸術とを大きく分けるポイントになります。

 

戯曲として書かれた「デモ」の様相を「身体を通して」語り直す

今回の作品は企画の始まりから「一人芝居」であることが決まっていました。一人芝居は当然のことながら登場人物のリアルタイムの関係性による表現ができないため、自ずと演じるたった一人の「俳優の身体」についての掘り下げが重要になります。更に言えば、今回の戯曲は「一人の俳優が複数の異なる登場人物を順に演じて行く」という形式でした。そこで、例えば人物Aと人物Bの切り替えは何によって起こる/表現されるのか、人物Aが語ったことの余韻の中で語り始める人物Bの言葉はそれ単体で聞く場合と異なりどのような相互作用を持って観客に聴こえ得るのか。そうした点を一つ一つ、より精密に洞察していく作業を繰り返していくことになりました。

 

様々な角度/距離からデモに触れた人々を、一人芝居で演じる

その企画自体は綾門君の発案だったわけですが、僕は当初からこの構造の部分に強く興味を惹かれていました。それは僕がこの案件の演出を引き受けた理由の一つでもありました。僕がこの設定に惹かれた理由は、この(一体誰が読むんだというレベルの面倒で長い)文をここまで読んでる方ならなんとなく推察していただけているのではないかと思いますが、つまり、「あまりにも巨大で一言で捉えることが困難」であり、「参加した人の属性/知見/時間/場所によって大きくその意味が異なる現象」としての「デモ」を、一人芝居という形式を取ることで、逆説的に浮かび上がらせることができるのではないか?という思惑が僕の中にあったからです。

 

そしてもう一つ重要な点。

 

「一人芝居である」=「個人であること」

 

とは、そもそも「デモ」というものの成り立ちにとって、ほとんど根源的ともいえる存在意義の一つなのです。僕はそのことを実際にデモの現場に何度か足を運んで行く中で理解していきました(そしてそのこともまたデモとの関わり方の濃淡によって変化する経験知の一つであることはいうまでもありません)。

 

「個人であること」ってなんだっけ

皆さんもご存知の通り、「デモ」とは現代の民主主義社会を構成する上において成人全てに平等に与えられる「普通選挙権」による意思表明と欠点を補完し合うためにある、市民に不可欠な主張方法の一つです。その点についての詳細は専門書に譲りますが、ここではごく簡単にその必要性を説明しておきます。

 

投票を通して代議士を選出し、間接的に有権者としての意志を表明する方法は、効率的ではありますが確実に「掬いきれないその他の意志」を発生させてしまいます。また、選挙で選ばれた代議士たちがその後の活動の中で、何らかの理由により選挙前の公約と大きく異なる政治を運営してしまうことがあります。そうした場合、選挙システムだけでは市民は次の選挙まで一切の意思表示の機会が持てなくなってしまう。そこで緊急的な「パッチ処理」として用意されているのが「デモ」というサブシステムです。メインプログラムは「選挙」かもしれませんが、それが完璧なプログラムになることは決してありまけん。しかもそれは社会制度の根幹である以上、ただ一度のクラッシュも許されません。だからこそ民主主義というプログラムは「デモ」という直接的なパッチの方法をわざわざ市民に許可し、権利として示しているわけです。

 

選挙での投票の際に記入机が一人ずつ仕切られているように、投票もそもそも「個人としての権利」であることがその根本的な成立要件の一つです。それと同じ意味で、「デモ」も「個人の意思として参加する」ということが前提条件とされています。

 

ですが、おそらくここまでの説明を読んで多くの方が違和感を感じられたことでしょう。そうです。例えば「選挙」には、「組織票」というものが存在します。ある企業、団体に属しているが故に投票先を事実上指定される事例。そんなことは日常的にいくらでもあります。「デモ」についてもそうで、そこには「団体動員」というものが存在します。投票の場合と同じように、参加者それぞれの意思のグラデーションの濃淡は無視で、とにかく所属する団体からの「動員指示」で人が集められる。これらは、現在の日本社会でも当然のように行われている「根本的に間違っているけどある種の必要悪的慣習として継続している政治参加の形」です。

 

「選挙」や「デモ」に一種のいかがわしさや無意味さを感じている方は、政治にまつわるこうした「個人ではなく集団によって操られてしまう」という側面をどこかで知ってしまっているからこそ、そうした否定的なイメージを持たれているのではないでしょうか。それは翻せば、「個人が意思を示すことなど無意味だ」という無力感の原因にもなっているはずです。また、浅間山荘事件をはじめとするような「政治結社の起こすカルト的事件」の印象も、こうした民主主義プログラムに対する不信感を強く裏付ける要因となっているでしょう。

 

僕も20年近く有権者として生きてきて、そんな「間違った民主主義」がもはや間違っているとすら感じないほどに当たり前になってしまった日常を生きてきました。「まあ、そういうものなんでしょ」という浅薄な諦観です。おそらく多くの方もそのように感じられているのではないでしょうか。

 

しかし、歴史を紐解くと、「そういうもの」という虚しさを受け流さず、「個人であることを尊重する」ということを旗印にした集団というのはちゃんと存在したことがわかります(僕もここ数年で知ったのですが)。その例の一つが、「ベ平連ベトナム平和連合)」です。「ベ平連」という略称はなんとなく「革マル」とか「中核派」に近い印象を感じさせ、そうした物々しいセクト主義者の集まりの一つのように思えてしまいますが(僕も誤解していました)、「ベ平連」はその他の政治結社の「個人が集団の論理に奉仕することで成り立つ政治のあり方」を真っ向から否定し、「常に個人であること」を重視した、その意味において正しく「リベラル」な政治団体、だったそうです。

 

また話が長くなりましたね。

デモとはその一言で語れないほど大きく多義的な意味を持つ事象、という言葉の意味がそろそろ体感していただけているのではないかと思います。そしてそろそろ、ここまで「近現代民主主義史」を駆け足で説明してきたことを今回の演劇作品の方へと再接続していかなければなりません。

 

デモはデモでも2015年の

僕たちが今回の作品のモチーフにした「デモ」は、明示こそされていないものの、はっきりと「2015年安保反対デモ」を指しています。これは僕自身最も多く通ったデモでもあり、また劇作家の綾門君が「はじめて見に行ってみた」デモでもありました。そしてそのデモの主催者(正確にいうと他団体の共同開催であったりするのですが、明らかに最も注目を浴びイニシアチブをとった主催団体)は、皆さんご存知の「SEALDs」という学生団体でした。そしてその「SEALDs」こそが、先ほどの「デモ史」の中で名前を挙げた個人主義を貫いた政治団体「ベ平連」の意思を、はっきりと意識的に継承し活動する団体でした。その意思は、彼らがweb上に発表した様々なステイトメント(これが学問的正しさ重視で書かれていてるがゆえに、極めて生真面目でとっつきづらい文章なのですが)にもはっきりと明示されています。

 

個人として、たった一人の意思を持って、政治に関わる

この当たり前のことが、日本では特に徹底的に軽視されてきました。日本人の社会運営がムラ社会的な談合主義に慣れ親しんでいたから、というのもその理由の一つでしょう。「個人の尊重」は教科書に書いてあるような基本的なことであるにもかかわらず、今や僕ら市民の側も「それについてとやかく言わないことが大人としての当然のマナー」かのように刷り込まれているのが現状です。

 

SEALDsの一連の運動についての是非に議論の余地があることは当然ですし、今の政治状況を見ても彼らが求め達成したことよりも、達成できなかったことの方が多いことは厳然たる事実です。ですが、この「個人として政治に参加すること」の重要性を、テキストや手法で繰り返して表明し続けたという点は、ストレートに評価してよい点の一つだったと思います。また、そんな彼らが率いたからこそ「これまでの日本式デモとは何かが違う空気」が現場に生まれ、その「空気」が多くの人に肯定的に捉えられたからこそ2015年のデモの飛躍的な規模の拡大した、ということもまた客観的に評価できる事実の一つです。

 

多義的とか、一義的とか

ここから急転回して、今回の演劇作品(これがとある演劇作品の話だってこと、思い出してくださいね)の構築の中で僕が感じた「最大の障壁」について語っていきたいと思います。許してくださいね、そのためにはこの長い前置きが必要だったんです。デモが巨大なように、人の頭の中というものもとかく広大です。

 

まずざっくりとその「障壁」についてまとめれば、以下のようなものになります。それは、「演劇が持つべき『多義性』と、『個人としての社会との関わり方(一義性)』を、どのように作品として折り合わせるか?」という問題です。

 

多分この一文ではピンとこない人がほとんどだと思います。ですがこれは僕にとって、その相反性に気づいた瞬間に軽く身震いしてしまったほどの、かなり射程距離の長い問いとして、いまだに僕の中に高い温度を保ったまま燻っています。芸術として保つべき多義性とは、現実に存在する個人の持つ一犠牲と比肩して、優位であるべきなのか。同格なのか。はたまたその逆なのか?

 

この問いについて紐解きつつ、論点をまとめます。

 

まず、ここまで語ってきた点。

 

「個人であること」の重要性

それは、社会がどうであれ、集団がどうであれ、他人がどうであれ、「私はこう思う」という切り口でものを語り、意思を伝える態度です。それはある意味ではとても傲慢で不遜な態度かもしれない。ですが、一方で「空気を読んでなあなあで進める集団の論理」が常に万人の幸福にとって有益かというと、全くそうではない。そこには常に「個人」と、その個人たちが形作る「集団(社会)」、それぞれの論理による綱引きが正常に行われている必要があります。「個人」を失った「集団」がそれぞれの個人に幸福を与えることは、これは断言しますが、絶対にあり得ません。どちらの論理も平等に尊重し続ける面倒な綱引きが、社会の永続的な幸福のためには必要不可欠なのです。「個人であること」に目を向けることは、一方で基本でありつつ、この日本の実情を背景とすると、なおも非常に新しく、検討に値する態度です。

 

そして、当然のことながら個人の見解とは必然的に「一義的」です。社会は常に多義的であるからこそ、「私はこうである」という一義は鋭い意味と力を持ちます。

 

一方、芸術で重要とされること。 

 

「多義的」であり、それゆえに「豊か」であること

つまり、「この物語から何を考えるかはあなた次第です」という態度を持つ作品が「豊かな作品」とされる。

その中でも、演劇は特に多義性の表現に長けているとされており、僕の師である平田オリザも、「演劇に必要なのはメッセージの押し付けではなく、より多義的に開かれた物語/空間構造それ自体だ」といろんなところで発言しています。基本的には僕もこの見解に心から同意しています。ただの意見の押し付けのようなプロパガンダアートは「豊か」とは到底言えません。

 

しかし、では。

 

そうした「現実にあった『個人としての一義性の価値』」を「多義的であるべき演劇というフォーマット」で表現する場合、一体どんなやり方があり得るのでしょう。

僕の抱えたこの疑問は、端的には作品の中で録音音声として流れる「ある人物がデモで話したスピーチ」の内容に集約されました。

 

綾門君がはじめに書いてきた戯曲には、僕の感覚では「ヌルい」と感じられるスピーチ文言が書かれていました。その「ヌルさ」はつまり、その「スピーチする個人」が「見えない」、「個の発露」とは感じがたい言葉、ということです。そこで僕は、公演前ギリギリのタイミングでそのスピーチの対案となる内容を書いて綾門君に渡しました。それは「個人としての言葉の強度」という意味においては、元々の戯曲の文言よりも表現できているという自負がありました。しかしそれを読んだ綾門君はこう言いました。「このスピーチはあまりにも明確すぎる。多義的でない。戯曲全体の持つ豊かさを減じてしまう」と。

 

それまで漠然と感じてはいつつも言語化できていなかった、「表現における多義性と個人としての一義性の相反」というとても大きな問いを明確に意識したのは、まさにこの時だったと思います。

 

綾門君のいうことは、劇作家としては確実に正しい。僕も演劇は、芸術は、すべからく豊かさを目指すべきだと本当に思います。ただ、その「豊かで多義的な表現」のために、「実際にあったこと」の「一義的ゆえの価値」を、意図的に減衰させることは、果たして正しいのだろうか?

 

結果、本戯曲は僕の演出的な意志を綾門君が彼の世界観の中でギリギリ成立する範囲で汲み取リ、スピーチにある一文を追加する形で完成しました。僕もその完成戯曲について悔いはありません。

 

しかしその一方で、僕はこの問いの続きを今でも考え続けています。

 

芸術の豊かさが生まれる場所って

芸術は豊かであるべきだし、様々な解釈を許されているが故にその価値の射程がどこまでも広がるものであるのは間違いありません。

ただ一方で、「多義的である」ということを一種の免罪符に、「なんとなくそれ風の解釈が色々できるだけの物語芸術」というものも大量に、本当に大量に粗製乱造されている状況があることからも、目をそらしてはいけない。そして、そうでない豊かさを目指して作り始めた志のある作品でさえ、いつのまにかそうなってしまう危険は常にある。書いてて気づきましたが、それは社会自体が常に「集団と個人の正常な綱引き」がなければ正しく運営できないものであることと、何か近しい意味のあることなのかもしれません。

 

先ほど発言の例に出した平田オリザ氏の作品でいえば、彼の作品は基本的にメッセージ伝達構造ではなく、「多様な人々が同時に存在するが故にその主張が少しずつ折り合わない、とある”場”」自体を演劇にするような手法を取っています。そして、登場する各個人のあり方は徹底してリアルであるが故に、結果とても「切実」「追い詰められた」多義性が生まれている。「演劇の多義性」とは、ここまで来て初めて語り得ることなのではないでしょうか。

 

ただ単にいかようにでも解釈可能な、茫洋とした「多義性”風”の表現」ではなく、各人の主義と主張やそれが生まれ得る土台としての切実なリアリティをベースとした、「個人の主張=一義性のぶつかり合い」、そこで生まれるものだけを、僕ははじめて「多義性のある表現」と呼びたい。

 

思えば、2015年の現実のデモで見た「個人」のスピーチに大きな価値を感じたのも、そこにはたくさんの歴史や、社会や、ややこしい集団の論理が背景として重なっていたからなのかもしれません。そこで見たものは「集団と個人の正常な綱引き」の一つのお手本だったのかもしれません。

 

「よく生きたい」、よね

「よいものを作ること」と「よく生きる」ことは限りなく同じことだ、と僕は考えます(ここでいう「よく生きる」とは、人としての生命を全うすることであり、生活のQOLの向上とは異なります。むしろそれとは相反することが多そう)。綱引きを続けることは本当にマジめんどくさい。今すぐやめて、マンガ読んで寝ていたい。しかし、僕が答えを見つけたい問いは、いつだってその綱引きの先にしか、あるいは「綱引きをしている時のしんどさや力みや掛け声や汗や砂ぼこり」の中にしかないのかもしれません。

 

いつだって綱を強く握ることのできる、分厚い手を持った人間でありたい、と思います。

 

この個人のささやかな気づきをまとめた文章を持って、本公演のために尽力された全てのスタッフと俳優、そして見に来てくれた全ての皆様への最大限の謝辞と返させていただきたいと思います。

 

また少ししたら、次の綱引きを始めます。

お好きな方はお楽しみに。それでは。

 

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2017.06.21 下田 彦太