あれとか、これとか、物語とか

smdhktが考えたこといろいろ

【演劇】赤堀雅秋『鳥の名前』- 演劇の"映像性"についての覚書

http://www.comrade.jpn.com/_src/1122/tori_om_ol.png

 

少し前に観た演劇について、ふと思いついたことがあり書いておく。

 

劇団ザ・シャンプーハット主宰であり、映画方面にも活躍の場を広げる赤堀氏の作・演出作品。不勉強ながら赤堀氏の作品を観たのは初めてだった。

 

端的に言って、面白かった。

描かれているのは日本の地方都市のグズグズしたダメ人間たちの様相、という感じで、それ自体はやや手垢のついたモチーフだ。ただ、自分がそうしたものをあまり好んで観てこなかったこともあってそれ自体が思ったより新鮮に感じられたし、出演した俳優たちの実力や持ち味と、物語のトーンをうまく融けこませることに成功していたと思う。観終わって、しっかりとエンターテインされたという実感があったし、かと言ってその言葉で文学性の低さを揶揄したくなったわけでもない。そこにはちゃんと鑑賞後に残る余韻、風合いがあった(と思う)。

 

それはいいとして、ここで書き留めて置きたいのは、その演出面の話だ。

 

本作の冒頭から15分ほどを観ていて強く感じたのは、「これは強く映像的な作品だな」ということだった。ある「カット」が、舞台のある場所で展開する。と、あるきっかけで場面が切り替わり、別の「カット」が、舞台の別の場所で始まる。と言った図式があり、この切り替わりがセリフのリズムや使用される音楽と強く連動している。非常に「編集的」であると感じたのだ。

 

また、舞台美術としても、空間を上下/左右に概ね4分割し、それぞれを別の場所として扱うようなタイプの演出が行われていた。つまり、観客席側から「投射された平面」のように空間が扱われている。すごく雑に言えば、4分割画面で構成された映像作品のような状態だ。もちろん演劇には演者の肉体が伴う分、舞台上の「ある一部分」に観客の目を釘付けにすることが演出的に可能で、実際に映像を4分割にした時ほど平面俯瞰的にはならないのだが、上述したその他の映像的テンポ感もあいまって、「あ、これこのまま映画にしてもいいやつだな」という印象を強く持った。

 

でもだとしたら、この作品が演劇である必要とはなんだったんだろう?

今回書いておきたかったのはその部分の話だ。

 

本作は非常に映像的だったし、それを本作の優れたポイントして論じることもできそうな気がする。実際に、ありありと想定された街、室内、あぜ道の様子が脳裏に浮かんだ。だが、それは逆に言えば、観客の側に「こういう話の時はこういう感じの映像だよね」という約束事が浸透しているから成立したことなのではないだろうか。

 

すでに書いたように、本作のモチーフは若干手垢のついたとも言えてしまう、非メジャー作品を見慣れた観客には好意的に受け取られやすい世界観のものだった。当然、それらの設定は観客の脳裏に一定の「像」を結びやすい。あえて嫌な言い方をすれば「安易」に。だとしたら、これが全く異なる文化圏で上演された場合はどうだっただろう。そういうことに耐えうる普遍性がこの作品にはあったのだろうか。

 

「閉鎖的な地方都市の空気というもの自体を観客の心理の中に空間として浮かび上がらせることに成功している」・・・というような言い方も、あるいはできるだろう。その観点から見れば本作は申し分なく、実際に成功している。それに加えて、「デビットリンチ的」とよく言われるような怪しさの演出もうまく決まっていた(でもやはりその"うまさ"も映像的な"うまさ"だ)。だが、その「閉鎖的な空間性」に、「そもそも演劇がもっている空間性」はなんらかの形で寄与していただろうか。スズナリの狭さが?劇場自体の古さが?いや、それだけでは何かの言い訳みたいに聞こえる。やはり、本作に必要な「空間性」を 観客に体感させるにあたって、演劇的にできたことはもっとあったんじゃないだろうか。そう思えてならない。

 

赤堀さんは多分、これからも映画方面で仕事をなされるだろうし、多くのよい結果を残されるだろう。でも、だとしても、演劇は別に映像のためのプロトタイプではない。やはり演劇には演劇としての強度を期待したい。そんなことは多くの観客にとってはどうでもいいことかもしれないけど、自分がわざわざシネコンよりも居心地がいいとはお世辞にも言えない芝居小屋に足繁く通う理由はそこにある。赤堀さんの作品にもそうした演劇性が強く反映されていたもの、今後上演されるものでそれが強く出ているものが、あるいはあるのかもしれない。だとしたら、その作品を観てからもう一度本作について考えてみたいと思う。

 

 

 

 

 

【音楽】女たちのエクソダス - 加藤ミリヤ feat.ECD『新約ディアロンリーガール』

サグめのラップばかり聞き慣れた耳には

加藤ミリヤって歌上手いんだな」という今更なことが

妙に新鮮に受け止められたりする。

 

youtu.be

 

後半の短いバースに聞こえるECDの声。

声は聞こえどその風景の中にECDは見えない。

癌で闘病中の日本語ラップの始祖の一人。

それが父娘ほども年の離れたフィメールシンガーの名前を二度コールして、

彼のバースが始まる。

 

MVを撮ったのは若干21歳の新鋭作家、Spikey John。

「超wavyでごめんね」のビデオで鮮烈にデビューした彼。

世代を超えたマイクリレーが、ECDからミリヤへ、

ミリヤからさらに下の世代へと受け継がれていく。

 

その背景は渋谷、渋谷、渋谷。

 

'90s、ECDが独立独歩で戦った街。

'00s、ミリヤが女たちの孤独を歌った街。

'10s、そしてその先へと、

ネクストカマーたちがその夜に新しい意味を上書きし続ける街。

 

原曲で参加していたK-DUB SHINEが本作のリリースに当たって

自分へ参加の打診がなかったことをtwitterで批判している。

原曲におけるK-DUBの功績を思えばそれも無理はないが、

本作の狙いはそうした「復刻」にあるわけではない。

 

今この時代にフィメールシンガーであるミリヤが

この曲を「新約」と称する意味。

そこに今の時代だからこその

「女たちのエグゾダス」の意味を込めていることは言うまでもない。 

 

冒頭、中盤、最後でラップされるたくさんの女性名。

架空の「わたしたちだったかもしれない誰か」を示すフロウの中で、

わずかに2名、明らかに特定の固有名がラップされる。

ECDの実娘二人の名前だ。

 

ただ渋谷の街中で女たちの受難を客観的にラップした当時と、

ECDが「番い、娘を持つ」という人生の物語に足を踏み入れ、

主体的に「女の人生」と関わった今では、

彼がこの曲の中でラップする意味は何重にもその重みを増し、更新されている。 

 

「女たちのエグゾダス」は、そうやって円環状に私たち男にも接続される。

そして奇しくも、女たちの「男親」になったECDに残された時間は短い。

ミリヤが本作をこのタイミングで「新約」と称しリリースした理由が

そのことと全く無関係とは思えない。

(でなければわざわざ実娘たちの名前をタグするような必要がどこにある?)

 

孤独しかない街にECDの声がこだまする。

マジな話早く立ち上がれとミリヤが言う。

そして今もその街に立ち尽くす女たちのシルエットがある。

その一歩めが踏み出されるのはいつになるだろう。

道行く先はどこへ続いていくのだろう。

 

f:id:smdhkt_blog:20171120191121p:plain 
https://i.ytimg.com/vi/xUeVVLbtLFA/hqdefault.jpg

わたしたちは毀損されながら - そして今の10代は何を思うか(というただの想像)

f:id:smdhkt_blog:20171107224942j:image

 

残念ながらこちらのカトルドさんの話ではなく、本家さんの方のお話です。

 

72時間テレビでのパロディのほう見てる間に本家さんのほうが来日され、パロディのヒドさを軽々と飛び超えたバッドガイぶりを見せつけてくれたようです。
あ、鯉のエサの件がフェイクだったことは知ってますよ念のため。

 

俺の兵器買うよな?な!?

 

共同会見中に堂々と兵器のセールストーク、「Youらは2番な。Weが1番」という、きょうびジャイアンも言わなそうなメッセージ。天皇との謁見に際しジャケットの前ボタン開けっぱなしで握手を求めてしまう儀礼を失した態度などなど、そのほかにも多々(ちなみに安部首相もメラニア夫人をイヴァンカ夫人と呼び間違えるなどして余裕の応戦を見せた模様)。

 

しかしそれにつけても、ここまで同盟国のトップにストレートにマウントを取られて、それでもハイハイニコニコと従者のようについて回る態度とはどうしたものなのでしょう。

 

さすがにこれはネトウヨさんもそれなりに不満だろうと思ってのぞいてみたら、

 

「厚い信頼関係!頼もしい!」

「兵器買いましょう!なんなら核兵器も!」「この調子で北を滅ぼしましょう!」

 

みたいな感じで、むしろ好調でした。

例の自称宮家の末裔、竹田恒泰とかもまんまそんな感じです。武器買えるのが嬉しくて大はしゃぎ。絶好調だね。

 

そんな昨今、巷の若者は自民支持が多いと言われています。まあ自民時代しか知らなくて、いまだに野党は(まとめサイトとミヤネ屋では)どーしょもない悪役とされていて、安倍自民時代で前よりはマシになってると(まとめサイトとミヤネ屋では)言われてるし…と来ると、そんな感じなのもわからなくはない。

 

でも、この露骨なDoggy Style外交はどう見えるんだろう?と素直に気になる。

シンプルに、「うちの首相……ダッサ😭」てならないのかな。それとも、すでに「ゴマすってプライド捨てても実を取るのが大人」みたいな価値観が心の底から染みついているのだろうか。

 

実際、一部ではトランプ氏の以下のような発言を

f:id:smdhkt_blog:20171107230813j:image

「大成功!まるでBLのような安倍さんのラブラブ外交手腕!」

みたいな評価が飛び交っています。

うんまあfriendshipとか書いてあるけどさ。。そのほかも読もうぜ、て思うんだけど。

 

そんな中にあって、いまの10代、それも選挙権のある18歳ぐらいの人々は安倍首相率いる自民党支持がメジャーだと聞きます。そこには一体どんなメンタリティが働いているんだろう。もうティーンエイジャーの気持ちを代弁できるとは逆立ちしても言えない年齢になったからこそ、そんなことをふと考えてしまう。

 

「今の10代」と呼ばれる人が生きてきた日々を。 

 

彼らが生まれたのは1999年。

バブル崩壊の余波。しだいに暗くなっていった世紀末の時代。

2001年にはNY同時多発テロ

その後のイラク戦争。世相に光はなかなか見えない。景気の悪化。

旧民主党が政権を取っていた2011年の震災時には12歳。きっと親世代から民主党議員の悪評をたくさん聴いたことでしょう(俺だってその頃は菅さんや枝野さんのことを悪く言ってたよ、たしか)。

ネットに触れるようになるのもこの頃だろうか。そしてまさにその時期から自称保守の人々のネットでのデマゴーグ作戦が水面下で盛り上がりを見せた時期。ニコ動全盛期でもある。ボカロとヘイトの時代。

2012年暮れ、第二次安倍政権発足。

翌年以降、「アベノミクスによって景気は上向いた」といたるところで喧伝される。親御さんの勤め先の株価も持ち直したかもしれない。

2014年、秘密保護法施行。15歳の彼らは受験でそれどころじゃない。

2015年、ISILによる日本人人質殺害。

その時彼らは多感な思春期、16歳。

きっと例の胸糞の悪いISILによる動画を、YouTubeやらニコ動やらで探して、友達同士で見せ合ったりしたことでしょう。その時クラスの中はどんな雰囲気だったろうか。最近話題になった自毛申告書みたいな校則は彼らの学校にもあっただろうか。そうした理不尽を「やりすごす」彼らの目には、後藤さんや湯川さんの姿はどんなふうに見えたでしょう。

 

そして2017年、いま。

冒頭にあげたようなトランプ大統領のデイリー狼藉っぷりは様々に報じられていますが、いまやNHKすら「鉄板焼きを召し上がりました!」などの報道に終始する始末。狼藉動画が彼らの元まで届いているかはなんとも言えない。進学して親元を離れ、情報源がスマホだけだとしたら、そんな動画でギガ減らしたくないよな。

 

となれば、巡回してるまとめサイトをまず見て漠然とした印象を掴んで、よっぽど気になれば詳細を探す、とかそんな感じかもしれない(いや、そうしているのは果たして若者だけと言えるだろうか)。安倍さんがバンカーで転がったのはネタになりやすいから知ってるかもしれないね。あの間抜けな映像は親しみやすさの一部として受け取やれるだろうか。どうだろう。

 

圧倒的強者に阿る生き方。

そうすることが「大人になること」と評価される、そんな風潮。

政党の支持不支持は、もちろん個人の自由です。今知らなくても、知らないことは後で学んだまた考えればいい。

 

しかし、「あれが大人のあるべき姿」と無意識に前提化してしまうヤングが増えないことを願います。君はもっと誇りを持ち、自分という個人を大切にして生きていい。本来、他者との信頼関係というものはそうした足場からしか生まれないはずなのだけど、どうにもこの国には「阿るか」「蔑むか」この二択でものを考える人が多いような気がする。

 

人が人を対等な他者として見ることは難しい、というあるある

 

振り返れば自分にも、「阿るか」「蔑むか」でしか他者と付き合えなかった頃がありました。それこそ10代の、まだ何もわかっていなかったころ。その時なぜそうしかできなかったのか今ならわかります。あの時の自分は、自分になにも自信が持てなかった。みんなが自分よりマトモに見えたし、そうでないやつはそんな自分よりも下の、取るに足らないやつだと思っていた。恥ずかしい話。

 

いまはなんだか、世の中全体がそうした「自己評価の低さ」を内面化したまま大きくなってしまっているように思えます。国のトップの生き様がまさにそれを体現してしまっている。そしてそれを、みんながこぞって「大人になるって、そういうことだ」と自分に言い聞かせているような。

 

違うよ、大人になるってことは。

friendshipも信頼も、そういうことじゃない。

 

「じゃーさ、大人になることは金になるの?」そんな声が聞こえる気がする。

そーだなあ、ならないかもなあ。でも。

 

この「でも」の先に続く言葉を、何よりも強く響く言葉を、私はずっと獲得したいと思っている。本当の意味で「大人になること」を、世界全体が放棄し嘲笑うような、そんな時代ではあるけれど。

 

f:id:smdhkt_blog:20171107234715j:image

 

 

 

【演劇】柳生企画『ひたむきな星屑』

風景の見える演劇

 

「演劇には風景がない」

そう思っていた時期が私にもありました。

 

無隣館2期卒、現青年団演出部の柳生二千翔による作・演出の本作。批評家の佐々木敦氏が三鷹に作ったSCOOLというスペースで観劇しました。

 

scool.jp

 

冒頭に書いた通り、本作は「風景の見える演劇」でした。

 

かつて私が学生だった頃、「物語のあるものを作りたい」と思い立ち、自分がぼんやりと進もうとしている道の向こうに「演劇か映画(映像)か」という分かれ道がありました。結果として私は、映画ではないものの映像の世界に進んだわけですが、その時演劇を選ばなかった理由としていたのは「風景を使ってものを語ることができないから」というものでした。

 

映像には「風景カット」というものがあり、ただヒット作としてだけではなく映像芸術としても評価され続ける名作映画の中には、それぞれに非常に印象的な「風景カット」が存在します。かつて(今もかもしれませんが)、街に立っていても、その風景のある瞬間を目にしてあれこれと想像を巡らせることの多かった自分は、風景そのものを使って物語の一部とするような何かが作りたかったのだと思います。

 

しかし実際のところ、演劇にも「風景」はある。

それに気づいたのは、その後に多くの観劇体験を経てからのことです。

 

ある種の優れた演劇は、観る側の脳内に、時には現実よりも鮮明な風景を呼び起こすことがあります。それは目で見る風景ではなく、脳の中に閃光のように焼き付けられる、架空の、しかしどこか記憶の一部だったかのような風景です。

 

「ひたむきな星屑」は、高速道路が通ったことで様変わりを遂げたある地方都市を舞台に、しがらみを抱えつつそこに帰ってきた女と、不安と孤独を抱えつつそこを出て行くことになる女、という二人が、今その街の基幹産業となった「高速道路沿いの大規模サービスエリア」という場所のアルバイト店員としてひと時を過ごし、すれ違う物語です。

 

左右に店舗の並ぶ一般道ではなく、高速道路沿いの街を舞台にした物語を「ロードサイドもの」と言ってしまっていいかはわかりませんが、本作には確かにロードサイドものと呼びたくなるような風合いに満ちていました。孤独、諦め、わずかな焦燥、男と女、夜のコンクリートを冷たく照らすライト。それらは極めて現代的(モダン)な問題提起で、演出のトーンも合間ってどこか'80~'90年代的な退廃のニュアンスも感じさせます。

 

SCOOLの空間には、天井部分に赤いイルミネーションライトが設置されていました。その赤い小さなランプたちの明滅が示すものは、夜の星空などではなくサービスエリアの店頭から見える渋滞のブレーキランプであることが終盤で暗示されます。綺麗ではあるかもしれないが、どこか息の苦しくなるような圧迫感のある赤い光。そして蛍光灯の白、誘導灯の赤と青。そこに重なる車の轟音。時に雨音。舞台上で実際に垂らされわずかに聞こえる水滴の音。

 

優れた演劇は、そうした空間美術、俳優の所作、音、など様々なパーツを駆使して、一度因数分解された「風景」を観客の脳内で視覚的に再構成してくれます。その再構成の際に必要となるコードが「戯曲」であり、戯曲の中の「言葉」なのかもしれません。

 

リアリティのある会話と各キャラクターの独白を無理なく行き来する本作の戯曲のリズムは、序盤こそ若干集中力を要求されたものの、中盤以降では無理なく意識下にその旋律を滑り込んできてくれました。時に天井に瞬く「ブレーキランプの星空」を見上げながら、私の中には冷たく孤独なロードサイドの景色が刷り込まれていきます。

 

脳内に組み上がった架空の景色は、現実よりも情報の濃淡が不均一なために、受け取ったその瞬間から儚く移ろうものとして脳裏に残り、目の前の現実としてよりもむしろ遠い記憶の中の体験に近い手触りを持ってその場を漂い続けます。優れた芸術に共通する要素を機能面から語るとすれば、人間の意識に裏口から直接接触するような、そうした影響の残し方がそれに当たるのかもしれません。

 

ロードサイド・夜・アスファルト・赤いライト。

そして断片的に脳内に浮かび上がる記憶のような「風景」。

それらはどこか、日本ではない、どこか他の国の風景のようでもありました。

 

その閉塞感は、最後静かで冷ややかな手触りのある「解放」に向かいます。

「雪の積もった日、閉鎖された高速道路を歩いて街を出ていく」というシークエンス。

現実と非現実の狭間のようなその情景は、実際に雪道を歩くときの身体の熱の記憶と合間って、ただ冷ややかな退廃を示しただけでは終われない'10年代の物語として終焉を迎えます。

 

抑制され、かつ雄弁な、そして間違いなく「今の物語」だったと思います。

自分の住む街、住む時間をこんな風に振り返ったらどんな風に見えるだろうかと、本作の余韻を楽しみながらしばし空想に耽っていたいと思います。

 

 

(物語の内容とは全く違うけど、心に映った風景はこんな感じで。)

https://d2v9y0dukr6mq2.cloudfront.net/video/thumbnail/B-wmtY8xinajljp5/a-roadside-diner-at-night_hwmds7hnl__F0000.png

 

 

 

 

そのときスマホの向こうに見ていたものは - 『72時間ホンネテレビ』

都合4日間、なんだかんだスマホにかじりついてました。

こんなことは本当に久しぶりの体験だった気がする。

 

hiko1985.hatenablog.com

 

感想として書きたかったことの8割は上記のリンクに書いてあってありがたい限り。ここには残りの2割についてだけ書いてみようと思います。

 

そこには私たちと同じ時間があった

放送から一夜明けて、ネット上では「7400万視聴」というAbema内記録の価値の有無についての議論がカマビスシーですね。その「7400万」という数字はあくまで累積で、そのまま実際の視聴者数を表すものではないことはそもそも明らかだったのですが、それだけを根拠に「結局テレビの視聴率で言えば深夜放送程度」などと批判めいたことを語るのは早計…というか、単純に「あ、この人は内容見てなかったんだな」と言わざるを得ません。みんな自分が見ていないコンテンツを結果だけ見て論じるのが大好きですね。お疲れさまです。

 

『72時間ホンネテレビ』が成しとげたことは、上記の累積視聴数のように比較的派手に見えるものから一見地味なものまでいろいろあったと思います。しかしまず何としても、「番組枠が72時間」という点が最大の特徴でありチャレンジ。その長さたるや、日テレの24時間テレビやフジの27時間テレビの約3倍(!)。そしてその超・長時間設定から生じた独特の時間感覚が、この番組に多くのマジックをもたらしていました。

 

超・長時間放送が生んだマジックタイム

かくいう私も連続的に72時間見続けたわけではなく(当たり前です。死ぬ)、述べ4日の間にスマホを片手に出たり入ったりを繰り返していたのですが、番組では、例えば話題になった「森くんとの再会」という1コーナー、これだけになんと6時間を割いていました。さすがにそれだけ長いと、一度アプリを閉じた後に別の用事を片付けて戻ってきても、まだ放送ではメンバーが森くんと語り合っている…という状況が生まれる。これはコンテンツの密度が過密になる傾向がある地上波の番組では絶対にあり得ない時間感覚でした。

 

「久しぶりの友達に会って長話をしている感じ」。これを自分のこととして振り返れば、5〜6時間など普通に経過してしまうものだと思います。そこにはダラついて間延びする時間もあれば、言葉少なにそれぞれが思い出に耽けるような瞬間も当然あります。『72時間ホンネテレビ』では、その超・長時間設定から副産物的に「友人と過ごす時間」の実感覚が放送上に再現されているかのようでした。そしてその時間は実際に、ファンにとっての「元SMAPとの再会の時間」でもあったのです。

 

このように、同じ放送を通して二つの「再会の時間」が重ねられ、そしてさらに、日々の雑事をこなす「我々の時間」と、スマホの向こうの「彼らの時間」が同じリズムで進んでいく。それらの要素から生まれたのは、少なくとも従来のテレビ番組からは感じられなかった不思議な共有感覚でした。だから、数分程度しかこの番組を見なかった人たちがそのことに気づかなかったとしても無理はない。無理はないんだけど、、残念でしたね!

 

そこには「人間」の「物語」があった

 

長く連れ添った「仲間」との後味の悪い別離。生きる場を奪われた人間が違う場所でやり直すこと。思い出の中に消えかけていた旧友との再会。40代を越えた大人たちが新しい道を歩いていくこと。

 

この番組の背骨になっていたのは、元SMAPたちのそうした断片的な物語の感触だったと思います。こうして主語を外して書き連ねてみればわかる通り、それらのひとつひとつは私たち一般人でも多かれ少なかれ確実に経験するような、「よくある人生の1ページ」でしかありません。当時、「SMAP解散」が国民的悲劇として連日ワイドショーなどで報じられていた時には、それらは多くの人にとって「どこか手の届かない雲の上で起きているお家騒動」でしかなかったはず。しかしこうした出来事の「その先の物語」が、前述の「独特の時間共有感覚」や、新興webメディアによる番組進行のいい意味での「粗さ」にリアリティを強化されて、いつもまにかそうした文脈が「自分たちのすぐそばにある物語」に変換され、共有されていく感覚がありました。

 

同じような「物語の共有」は、例えば「金スマ」のような完全フルパッケージスタイルで伝えることだってあるいはできたでしょう。しかし、その方法では報道と同じく、「どこか遠くの物語」として消化されてしまったのではないでしょうか。むしろこの番組では、パッケージ化しきれずに漏れ出した細部にこそ、この物語の手触りを多く感じることができました。

 

例えばそれは、いきなりSNS拡散しまくることを命じられて、おじいちゃん並みにネットに疎い3人が不慣れなスマホを握りしめて悪戦苦闘している姿に。

これまでではあり得ないような新宿や原宿の人混みに放り出されて「新宿なんて歩いたことない」と怯える香取慎吾の表情に。

移動のバスの中もずっとカメラに追われるような異常に長い放送時間の中ずっと衆目に晒され続けた結果、不安や油断がつい表情と言動に出てしまった瞬間に。

「森くんとの思い出は別にない」と対談ではクールに語りながら、最後に流れた森からのメッセージに溢れるように落涙してしまう稲垣吾郎の感情に。

 

テレビは嘘がつけない。だから怖い。そう喝破したのは確か"欽ちゃん"こと萩本欽一で、それを極めて自覚的に自らの芸風に直結させ、テレビの寵児となって行ったのがタモリだったことは、(私のような一部のスキモノの間では)よく知られる事実です。

 

上記のような「漏れ出してしまう本当の瞬間」を、メディア特性として武器にしてきたのが黄金期までの地上波テレビ番組でした。しかしいつのまにか、様々な規制や制約によってそれができなくなってしまっている。その意味で、『72時間ホンネテレビ』は「テレビにはできないことをやった」のではなく、「テレビがかつてできていたこと」をネットでもう一度取り戻しただけ、とも言えるでしょう。しかし、その「だけ」が本当に遠かった。地上波のテレビは未だにその頃の幻影を追い求めては、失敗を繰り返しています。

 

巨大化し既得権益化したテレビ業界は、肥大した組織がすべてそうであるように、「人間の本当の姿」という厄介なものを、あらゆる技術を駆使して抑え込む方向に進もうとしています(もちろんそれに抵抗している優れた番組も多くあり、全てが形骸化しているとは全く思いませんが)。フジの「まあまあ成功」とされた今年の27時間テレビが、非常にパッケージ色が強くなったこともその好例。それも進化のひとつだとは思いますが、それは「テレビの強み」とは別の話であると言わざるを得ません。

 

そこにいた人たちには理由があった

超・長時間放送枠による独特の共有感覚。

そこにいるスターたちが垣間見せる人間の物語。

 

この二つに加え、この番組の「風合い」を形作ったもうひとつのファクターがありました。メインの3人以外の登場人物たちの顔ぶれです。

 

まず、もっとも大きな違いとして、この番組には吉本興業の芸人が一切出演していませんでした。テレビに詳しくない人にとってはなんのこっちゃいな話かもしれませんが、これはかなり画期的なことです。企画的には地上波バラエティ番組とほぼ変わらない内容であったにも関わらず、オープニングの藤田社長の大豪邸でのパーティーシーンで中核をになったのは爆笑問題(タイタン所属)、脇を固めたのはメイプル超合金サンミュージック所属)。ビデオで応援メッセージを寄せた笑福亭鶴瓶松竹芸能所属)、中盤の山場だった「大御所対談」に登場した堺正章田辺エージェンシー傘下の個人事務所・エスダッシュ所属)。そして二日目の朝の「大運動会」を取り仕切ったのは、司会を勤めた飯尾和樹を筆頭に、ほぼ全て浅井企画所属のメンバーでした(活躍していた永野は浅井企画ではなくグレープカンパニー所属)。その後の時間帯でも、キャイ〜ン関根勤など、浅井企画のベテラン・中堅による進行のサポートが続きました。

 

「テレビの今」に極めて意識的であったとも言えるこの放送の屋台骨を支えたのが浅井企画という事務所で、その浅井企画が"もっともテレビを知る男"萩本欽一を擁する芸能プロダクションだったことは、ただの奇妙な偶然でしょうか。私にはそうは思えません。

 

決して「吉本芸人が出ていなかったからよかった」と言いたいわけではありません。吉本興業がお笑いというカテゴリーにあって最大最強の事務所であるとの評価には異存の余地はありません。しかし、この『72時間ホンネテレビ』で吉本勢抜きの「よくある運動会企画」を見たことで、いかに普段のテレビ番組が「吉本的リズム感」一色に塗りつぶされているかについて、逆説的に気付かされる形になりました。

 

「吉本的リズム」は、その卓越したスキルで隙間という隙間を埋めて笑いに変えていきます。これは完全に昨今のテレビ番組制作事情に照準を合わせた特殊スキルです。彼らは現在のテレビ番組の「事情」を「ゲームのルール」として、その中で最大限の笑いを生んでいく。しかし逆に言えば、彼らのそうした異能はときに現状追認意識を強化してしまう。それは「テレビが不自由になっている」という現状に対しての過剰適応であり、ある困難に対しての適応能力が高すぎることは、ときに抜本的な進化を阻害する要因にもなりえます。異常発達してしまった彼らの能力は、常にそうした危うさと隣り合わせなのです。

 

一方、この番組で浅井企画の芸人を中心として進行した「大運動会」が、吉本勢が参加した場合のクオリティを越えていたかと言えば別にそんなことはありません。しかし、そこには歪さや不揃いさとともに、カンコンキンシアター仕込みの「別の流派」の味わいがあり、そのこと自体に新鮮さが感じられました。吉本という「洗練されきったファミレス」での食事「だけ」になっていた中で、いきなり握りたてのおにぎりを食べさせられたようなものです。大手事務所によるコンテンツの寡占によって、私たちはいつのまにか「お笑い」という名の日々の食事の選択肢すら奪われていたのかもしれません。

 

「出る側」を選んだ人々がいた

お笑い勢だけではありません。その他の主要ゲストたちも、調べれば事実上の個人事務所か、縛りが大手ほどキツくない中規模以下の事務所、あるいは大手の中にいても「こいつは別枠」とされているような独立独歩の芸能人(笑福亭鶴瓶山田孝之がこれに当たるかも)たちでした。つまり彼らは、この番組に「出たくて出た」人びとだったわけです。

 

バラエティ番組としての側面を語る都合上、先に「吉本閥」を引き合いに出しましたが、そもそもこの番組自体が「ジャニーズ」という超巨大アイドルプロダクションに反旗を翻した3人(とマネージャーの飯島氏)を中心にすえた、現在の芸能界にあっては例外的にチャレンジングな背景を持つものであったことは周知の通り。そのため、この番組に「出るか / 出ないか」の選択は、個々のタレントとしての今後の立ち位置を制限するとは言えないまでも、「私はこちら側に立っています」という意思表明になってしまうことは否めません。

 

「出る側である」という旗を立てた人間と、立てなかった人間。彼らの所属するそれぞれの事務所の勢力の大小・その陣地。期せずして(いやむしろとても意図的に)、この番組自体が芸能界の「新しい地図」になっているという構造。

 

日本の芸能界は、タレントたちが個人として意思表明することを極端に嫌うことで知られます。タレントはただの「容れ物」であればよく、その時代ごとに都合のいいアイデンディティを入れ替えられた方が商売として都合がいいと考えられているからでしょう。しかし、その中にあって、彼らはこの番組に「出た」。それはそのゲストたちとメイン3名のこれまでの人間関係からだったかもしれないし(大河ドラマ新撰組!」の出演者が多かったことは印象的でした)、それぞれのタレント本人の個人としてのポリシーによるものかもしれません。彼らの本意がどちらであれ、またその他の意図であったのであれ、彼らは「出た側の人間」になることを厭わなかったわけです。

 

大手事務所やスポンサーの好む「アイデンティティが空っぽの人間」は、空っぽであるが故に「物語を持たない」。あらゆる事情に雁字搦めになっている今のテレビ業界・芸能界から生まれるものがどこか無味乾燥だとしたら、それは彼ら個人の「物語のなさ」に原因の一端があるのではないでしょうか。

 

新しい窓の向こうに物語があったから

私はテレビっ子です。ウンナンダウンタウン時代に幼少期を過ごしたものの多くがそうであったように、テレビにかじりついて青春期を過ごしてきました。「テレビっ子」という呼称にすら、どこか誇らしさを感じるほどです。どうかと思いますけど。

 

しかしそんなテレビっ子である自分が、今テレビにかじりついているかと言われれば全くそんなことはなくなりました。ご多聞にもれず、スマホという別のものをかじる時間が増えています。かといってテレビに未練がないわけではなく、相変わらず面白いテレビやラジオの書き起こしサイトをネットで巡回しては、その情報の代用としている始末(それもほんとにどうかと思いますが)。

 

そのことをもって、一時期は自分自身、大人になっていつのまにか「面白いテレビ番組」への興味が薄れたのだろうと思っていました。なんだかそのほうが人間的な成長を果たしたようでもあるし、と。しかしそうではなかったのです。私はどうやら、「テレビというコンテンツ」を見限ったのではなく、「テレビというデバイス」を見限っていたのです。

 

今の子供たちの多くが、テレビタレントよりもYoutuberに親近感を感じているように、ここまで語ってきたような「人間を映す機能」とか「時間共有装置」の中心地はもうとっくにネットに移ってのかもしれないし、ただそちらに新しい魅力を見つければよかったのかもしれません。しかし私自身がYoutuberのコンテンツに興味を移すことは今のところなく、多分これからもなさそうです。しかし、スマホでそうした「テレビの機能」が見れるならいくらでも見てしまいそうです。もし、スマホという新しい別の窓に、私たちがかつてテレビという窓から見ていた「人間の本当の姿」が見られるなら。

 

「テレビではない何か」ではなく、「もっとテレビらしい何か」へ

この番組の「一見地味な新しさ」はそれ以外にも多々ありました。例えば、「スマホで見るテレビであったこと」と同時に、「番組の内容がtwitter/instagram/youtube拡散される」というシームレスさ。全てがスマホで見れてしまうが故に、放送から離れてよそ見する全てにこの番組の痕跡があって、結局その近辺を巡回してしまうという蟻地獄。そして、最終日のエンディング直前に「裏かぶり」していた草彅剛と香取慎吾のラジオ番組での、AbemaとBay-FMの垣根を超えた同時中継など(ラジオ側のMCは有村昆が担当)。それぞれが超画期的!というほどのことではないものの、それらがさらりと、かつ大規模に実行されていくことのワクワク感が終盤のヘブンリーな多幸感に繋がっていたことは間違いないと思います。

 

そして何よりそれを中心でこなしていく3人から「自由を楽しむ空気」が漏れてしまっていること。それが最大限、画面に映ってしまっていた。なぜなら、それを映してしまうのが「テレビ」だから。

 

この番組の一応の成功をうけて、やれ「テレビは終わった」とか「新しいメディアだ」とか、そうした話題が各所で盛り上がっているようです。でも、はっきりいってそんなことはどうでもいい。私はどんなメディアを通してだって結局、「人間」の、「物語」が見たい。今回の『72時間ホンネテレビ』にはそれがあったから見てしまった、ただそれだけ。webテレビがこれからもそれを映す窓になるならそれを見るだろうし、そうでないならまた別のメディアの向こうに「人間」と「物語」の姿を探していくことになるでしょう。

 

テレビというデバイスが死んだとしても「テレビという恐ろしい機能」は死なない。「テレビという恐ろしい機能」はそんなに生易しいものではありません。それは放送というテクノロジーによって生まれた、人類にとっての逃れられない呪いのようなものなんじゃないかと。

 

今回その呪いに身を晒したのは、香取慎吾、草彅剛、稲垣吾郎という人々でした。世界中の古い寓話にあるように、呪いに一度身を晒した人間は別の何かに生まれ変わります。時代が、デバイスが、人が変わり、「新しい地図」を描いていく。しかしそれでも、テレビの呪いは形を変えて、これからも彼らと私たちを惑わせ、魅了していくでしょう。

 

テレビは恐ろしい。

本当にそう思います。

72時間私が手放せなかったそれは、間違いなく「テレビ」だったのです。

 

---

以上、書いてみたらメディア論っぽい感じでなんとなくまとまったのでここで筆を置きます。その他、ドナルド・トランプ本人の来日にタイミングを合わせての香取慎吾のパロディとその街頭での反応についてや、最後のライブ後に行われたという握手会でもファンやメンバーたちのやりとりについてなども書きたいところだけど、もう7000字を超えたのでやめておきます。これで2割ってマジか。いや嘘です。だいぶ書きました。勘弁してください。

 

 

https://cdn.mdpr.jp/photo/images/26/e0d/w700c-ez_ed3c55bada01e1baab3a422f09ed6adccdbfa0b1647382ac.jpg